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万葉集『梅花の歌』が詠まれた坂本八幡宮とは・山上憶良・大伴旅人|新元号『令和・れいわ』発祥(ゆかり)の地

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出典:https://mapio.net/pic/p-120244909/

4月1日に新元号『令和・れいわ』が発表され、大いに盛り上がっていますね!

 

中でも出典となった書物が万葉集だということで、日本でも古典ブームが巻き起ころうとしています!

 

そこで今回は新元号

 

令和

が由来する万葉集の「梅花の歌」が詠まれた坂本八幡宮について徹底解説していこうと思います!

万葉集「梅花の歌」が詠まれた坂本八幡宮について徹底解説!

まずは坂本八幡宮について解説していきたいと思います。
坂本八幡宮は福岡県太宰府市三丁目にあります。

坂本八幡宮では奈良時代に梅花の宴が催されました。

梅花の宴では、万葉集の「梅花の歌」が詠まれたとされており、詠んだのはかの有名な

山上憶良(やまのうえのおくら)

とされています。後ほど詳しく解説します。

 

近くには大伴旅人の邸宅があります。

大伴旅人について

ここで少しだけ大伴旅人について解説しておきます。

大伴旅人

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出典:http://comu358.blog23.fc2.com/blog-entry-454.html

 

時代          飛鳥時代 - 奈良時代

生誕          天智天皇4年(665年)

死没          天平3年7月25日(731年8月31日)

別名          多比等

 

坂本八幡宮の口コミ評価

 

新元号『令和・れいわ』の出典となった万葉集について

万葉集は

  1. 奈良時代に成立
  2. 日本最古の和歌集
  3. 4500首以上の歌
  4. 日本文学における史上最高作品
  5. 全て漢字

 

といった特徴があります。

今回新元号『令和・れいわ』の出典となったことで万葉集の本屋での発注が

600倍

となっているそうです!

 

 

新元号『令和・れいわ』の由来となった「梅花の歌」とは

“初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす”

〈梅花の歌・原文〉

梅花(うめのはな)の歌三十二首并せて序

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述※1(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

引用元:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu5_815jyo.html

〈梅花の歌・現代語訳〉

天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。 のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。

引用元:http://manyou.plabot.michikusa.jp/manyousyu5_815jyo.html

 

「梅花の歌」のは誰によって詠まれたの?山上憶良について解説

諸説ありますが、新元号『令和・れいわ』の由来となった「梅花の歌」の作者は山上憶良(やまのうえのおくら)だと言われています。

山上憶良

山上憶良(やまのうえのおくら)は奈良時代初期の貴族の歌人です。

家族への愛情や農民の貧しさなど、弱者を観察しそれを鋭く歌にしたとされています。

『万葉集』には78首が撰ばれており、大伴家持や柿本人麻呂、山部赤人らと共に奈良時代を代表する歌人として非常に評価の高い歌人の1人です。

今回新元号『令和・れいわ』の考案者とされている中西進氏も山上憶良について

憶良は天智・天武両天皇の侍医を務めた百済人憶仁の子で、百済の滅亡に際して父親と共に日本に渡来、近江国甲賀郡山直郷に住み着いたことから山上氏を称するようになったが、次第に土地の有力氏族である粟田氏に従属し同族化していった。

引用元:wikipedia

としています。

 
凡例             山上憶良

時代             奈良時代初期

生誕             斉明天皇6年(660年)?

死没             天平5年(733年)?

別名             山於億良

 

新元号『令和・れいわ』の詳しい解説

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その他新元号『令和・れいわ』に関する情報

 

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